ミライの事業室、船出する

ミライの事業室は2019年4月に博報堂の新規事業開発組織としてスタートした。立ち上げ時は18人のそれほど大きくはない組織だったが、この2年半で60名を超えるまでに拡大し、現在は博報堂と博報堂DYメディアパートナーズの2社を横断する組織となっている。これまで博報堂はクライアントの事業支援を数多く行ってきたが、自社の新規事業に専任で取り組む組織は初めてである。設立にあたっては、社内の様々な部門から職種も経験も様々なメンバーが集められた。社内起業制度でベンチャー立ち上げを経験した者、クライアント担当営業としてプロジェクトの責任者だった者、コンサルタントとしてクライアントの事業開発支援やイノベーション支援をしていた者、マーケティング領域のシステム開発に関わっていた者、そして、私のようなクリエイティブディレクターとして企業のブランディングに携わっていた者まで。およそ新規事業に関連しそうな様々なスキルや経験をもった多彩なメンバーが集められたが、自社の新規事業を立ち上げたことのある人間はいなかった。組織の長である私も含めて素人ばかりの集団で、ともかく新規事業という未知への挑戦が始まったのだった。

ミライの事業室、船出

マネージャーの頭を悩ます最初の課題

マネージャーとして私が最初に取り組まなければならなかったのは、「自分たちはどんな事業をつくるのか?」という課題だった。様々な部門部署から集められた職種もバラバラなメンバーは新規事業に対する考え方もバラバラだった。社内起業家として自分のやりたいことを実現したいという人もいれば、トップダウンで領域を決めて欲しいという人もいた。事業を創るよりVCのようなベンチャー投資に興味がある人もいた。これではとても組織がまとまらないと思い、幹部を集めて合宿を繰り返した。会社にいてはどうしても既存の広告ビジネスの頭になってしまうので、会議は会社の外で。予算もあまりなかったので、公民館の会議室を借りて朝から夕方まで議論した。最初は成功しているスタートアップを例にあげてはこんなビジネスができないだろうか、あんなビジネスをどうしたらつくれるだろうかなどと話していたが、だんだん議論が深まるにつれ、「これは本当に博報堂がやるべきビジネスなのだろうか?」「何のために自分たちは新規事業をやるのだろうか?」といった自問自答が増えていった。後から思えば、この「自分たちは何をすべきなのか」、「なぜこれに取り組むのか」という内省はとても大切であった。新規事業というとどうしても我々の目は外に向かいがちになる。他社がこんなことをやっている。スタートアップがこんなやり方をしている。あそこにはこんなすごいテクノロジーがある…。外の世界には新たな機会が沢山転がっているように思える。しかし、そのような機会を狙っているのは自社だけではない。世界中のプラットフォーマー、スタートアップ、大小様々な企業、そして成功を夢見る起業家の卵たちが血眼になってそれらを狙っている。そこは完全な自由競争の世界だ。チャンスだと思って飛び込んでも、たちまちレッドオーシャンになってしまう。ピーター・ティールが「ゼロ・トゥ・ワン」で書いているように、できる限り競争は避けるべきなのに、だ。では、どうすれば競争を避けることができるのだろう。それが、内省することだ。内省により自分たちが価値と思うもの、自分たちらしいやり方に気づくことができる。自分たちらしくあることが、差別性を生み、競争の死の海から我々を救うのだ。そして社会やテクノロジーの激しい変化に翻弄されることもなくなる。私たちの場合、その拠り所が「生活者発想」と「パートナー主義」だった。

大切なのはフィロソフィー

「生活者発想」と「パートナー主義」は、博報堂のフィロソフィーだ。生活者発想とは、人間を消費者ではなく「生活者」と捉え、その生活のすべてをまるごと理解しようとすること。もっと言えば、生活者に心を寄せその役に立ちたいと思う純粋な気持ちを発想の原点にすることだ。博報堂の社員は皆これを共通のプロトコルとして持っている。博報堂の社員と話してみれば、彼らが自社のビジネスのことよりも「生活者にとってそれは善か?」をいつも基準にして考えていることがわかるだろう。データの時代、生活者発想はますます重要な意味を持ってきている。生活者のあらゆる行動がデータとして収集、分析できるようになった今、監視国家のようにそれらを個人の行動や自由を制限するために使うこともできるし、反対に、一人ひとりがより自分らしくいきいきと生きるために役立てることもできる。だからこそ生活者の側に立ち、データを生活者のために活かすのだというフィロソフィーが重要だ。生活者にとっての善を常に考えることは私たちの事業の基盤になっている。一方、「パートナー主義」とは、取引先とともに価値を創造し共存共栄を目指すという考え方だ。社会が複雑化し、いくつもの大きな課題を抱える現代では、異なる分野の人々や企業の「協働」がますます不可欠になっている。我々のクライアントである3000社もの企業、媒体社や専門機関などが互いにパートナーとして手を組めば、もっと多くの課題を解決し、社会にイノベーションを起こすことが可能になるはずだ。私たちはそうした考えのもと、「チーム企業型事業創造」という独自のWAYを掲げている。次回はそうした私たちのアプローチをもう少し詳しく説明していこうと思う。